(1)母の日と言うことで想い出ちらほら

子どもの時は〈お母ちゃん〉と呼び早く家を出たせいか〈おふくろ〉に。亡くなってからは概ね《母》と統一。91歳まで生きたのは凄い!
兄弟が5人居て最後は自分なのでさぞ可愛いかろうと?思うので有るがさにあらず忙しく働いてたからね、
母は呼ぶ時上から順に言うクセが..男兄弟は3人なので自分の名を呼ぶ時三回目でやっと(まなぶ)にたどり着く(笑)
も〜いい加減にしてよ、と子供ながら思ってた^ ^

(2)どうして忙しく働いてたか?
と言うと〈父ちゃん〉が有る失敗をしてから働かなくてはいけなくなったのだ、
生きてはいるが言ってみれば駄目父ちゃんが誕生して父母の関係は逆に(形の上だけ)なるがご飯を作る親父なんかではない、自分の酒の肴しか作らなく昼間から赤い顔して酒屋に行くので友達から見られると恥ずかしくて堪らない、
そんな親父だからね〜
毎年年の瀬に溜まってたのを母は吐き出すから狭い部屋の中で小さな揉め事から大きな喧嘩に、(此処まで来ると長男にしか止めることは出来ない)
日ごろの日常にはすれ違ってるから喧嘩にならないのに年の瀬が概ねその日なのですね、
やっぱり母の我慢の忍耐が一年の終りに切れるのだろうと今は理解してる。
(がまんは程々にしましょう)

(3)かっての母は(新婚当初)
写真で見るとかなりな美人である。
新婚の時は親父の仕事柄か住まいは横浜だった。(船乗り、豪華客船での海外の写真は多数残ってる)
父の若かりし頃は勉学に励み優秀だったとその後の話で聞いた(実は父の葬式の日思いを寄せてたような人が現れたのでした)
田舎で知ってる人にも聞いた〈清さん〉と呼ばれた青年時代とは何だろうか?そう自分の知らない〈清さん〉がそこに紛れもなく居たのである。
これが巡り巡りて如何して駄目父ちゃんに成るのだろうか?
ちっとも解らんちん(笑)。。

(4)おふくろさんも惚れてた?
或いは勧められた?真面目な〈清さん〉に
どちらも有るかも知れない。
横浜に居たのは長男が生まれて船を降りるまでとなった。その後は母の生まれた栃木に戻り、父は船の時の経験から有名な某Tホテルに、
従って別居生活は続き、偶に家に帰るのだろう、
田舎で姉が、兄が生まれそして最後に自分が生まれた。
コスモス畑にイチゴ畑(小菜園程度の)のどかな田舎の情景がよみがえる。。(や、これ以上想い出すと私小説みたいに成るな…どうしよう…
魔いった(笑))

取り敢えず強制 −了−

ー 追伸 ー
👨👩👧👧👨👨👦 家族写真が有れば良いのだけど
引っ越ししたので見つからない
以前の住まいでの花たちでお許しあれ
まお風すけっち 2017-5・14
posted by Mao-san at 01:36|
日記
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